自分内スタイルの再編、について

誰かが作った型をそのまま鵜呑みにするのが、ラクだし「周りと一緒」で多数派所属うまい、と思う人が割と多い中、ここ数年、無意識に私がしていたのは「雑誌とテレビと商業施設とメーカーと、一部のネットのキュレーターが推してくる従来価値観の否定」です。

 

①否定その1 「グリセリンはどう考えても悪です」

合う人いるんだろうけど、保湿という名のもとに何でもかんでも混入してくるグリセリンレシピ。石鹸もグリセリン・化粧水もグリセリン・美容液もグリセリン・乳液もグリセリン・クリームもグリセリン・下地もグリセリン・ファンデーションもグリセリン・クレンジングもグリセリントータルでどんくらいのグリセリン含有量を押し付けられてるんだ?ここまでトータル量あっても、まだ「安全」なのか?小麦粉だって含有超えるとアレルギーになるし、砂糖も塩も大量摂取は毒なんだけども。

正直、引き算のできなさ加減がTHE女の思考って感じできつい。ていうか、グリセリンについては気づきようがないじゃないか。医学的にも保証された成分で、目に見えるものではなく、小さい頃から疑いすらもってなかったものが大量に混入することにより、常に起こってた肌トラブルと悩みの時間。グリセリン抜いたら、1年程度であっさりなくなった吹き出物トラブル。臨床を怠ってきたとしか思えない。ほんと、ここに関しては恨みふかまり過ぎて医学と薬剤師の学問の全否定、根本否定まで行ってる勢いで悪認定しています。そして出てくる症状が「吹き出物」という、異常に健康を脅かすものではないが、長期に個人の精神負荷を与え続け、顔の肌という一番気になる所を脅かし続ける種類のグレーゾーン症状であることが、また怒りを増幅させる。

 

②否定その2 「化粧水、乳液でわけるの面倒臭いです」

すごく流行ってた単語「コスパ」。だけど、コスパの本当の意味を使いこなしてない浅はかな主婦が続出。これが結構イラつく。1on1の費用対効果効能ではなく、かける工程と時間まで考慮したコスパじゃなきゃ指標ではない。そしてコスパじゃなく費用対効果ってちゃんと言ってほしい。本当に意味わかってんのかな?と思う。

そんな中、化粧水と乳液を分けて蓋をして~みたいな美容論は工程コスパ、時間対効果が異常に悪い。ダイレクト蓋コースでもいいじゃん。私の場合、化粧水は自分の掌で原液を混ぜる単なる媒介物もしくは原材料的扱いだし、原液の種別によっては乳液やクリームは必要ない時もある。洗顔したら化粧水要らねえよ前提に立った時、本当はグリセリンが無いクリーム1個である程度済めば、この工程は全て削除できる。あと成分は全部開示してほしい。製法もできるだけ開示してほしい。成分の組み合わせをコントロールすることこそが基礎ケア。最近、基礎ケアで必要な成分を、化粧品ではなくサプリに移している最中です。

 

③否定その3 「化粧下地とファンデーションわけるの面倒臭いです」

面倒臭いです。リキッド系ファンデーション+お粉で完結したい。BBクリーム、CCクリームの流れはほんと良い流れだなって思いつつ、グリセリン入ってるのでほぼ使えない。グリセリンはとにかく角栓製造をめちゃくちゃするし、毛穴の菌の餌になるし、使い「続ける」のはダメなのだ。

 

④否定その4 「クレンジングと洗顔わけるの面倒臭いです」

面倒臭いです。だからお湯で落ちる系と、一日仕事で持つかどうか崩れにくいかどうかの間を取れるものを探すのが非常に難しい。既に私はリキッドアイライナーを廃止、マスカラを廃止、ティントを廃止してますが、もうちょっと発想を変えないとまだ削減できなさそう。

 

⑤否定その5 「使い分けは悪です」

総合的に、「使い分け」と「使い切る」をうまく組み合わせて時間対効果を高めたい。費用対を重視していると時間対効果悪くなる。特に、雑誌とテレビと商業施設とメーカーと、一部のネットのキュレーターたちは騙して使い分けをさせる事によって要らないものを売りつけようとするので、使い分けという発想に過度に依存してはいけない。極論、リキッドシャンプーでもボディ洗えるじゃないか。